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エリア経済経営研究への期待とお誘い

エリア経済経営研究会主宰の神田榮治の経歴や、研究会の発足に至った経緯などを書き記しております。

当ページの内容は要約版となっておりますが、全文をご覧になりたい方は右側のアイコンより、ノーカット版の全文PDFをダウンロードしていただけます。

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はじめに

 ここでは、この小冊子を書くことになった理由について述べたいと思います。その際、まったく無名の私がなぜこういうことを厚かましくも提言するのか。どこの馬の骨かもわからない一介の地方公務員上がりの人間の言うことなど聞くまでもないとか、何の下地もないのに何を言うかとお考えの方もおられると思いますので、あえて私のやってきたこと(大したことはやってませんが)の一端を述べさせていただくことで、私が今回こういうことを呼び掛ける下地というか、動機付けについて申し上げることにしました。

 私自身、自分のことを声高にしゃべる人たちには正直うんざりしているところもあります。したがってお読みになってある意味快く思われない方もおられると思います。しかしこのままではとんでもないことになるという危機感と、不遜ではありますがある地域についてある程度総合的に考える立場に長く携わった経験は、案外、国の役人にもあまりないだろうし、まして民間の人にもなかなか分かっていただけないかもしれないということで、あえて、結果として公務員たたきになることも覚悟のうえで呼び掛けることにしました。お許しいただきたいと思います。

兵庫県庁での経験1

 私は、兵庫県庁に1972年に入り、まず当時の総合計画づくりのチームに配属されました。総合計画というのはまさしく字の通りで、県の行うすべての事業についての計画といえます。これがどうやらその後の私の人生を決めたというか、考え方を形成するのに大いに関係があったのではないかと思います。それはさておき、その後33年間の県庁生活のうち断続的に延べ18年間を総合計画づくりや近畿圏の調整に携わったことになります。それ以外にも商工部やその後の産業労働部長時代の産業関係の8年間がそれに次いで長い仕事となりました。この間には、阪神・淡路大震災後の産業復興に関わるいくつかの事業推進や復興計画の策定に事務方の責任者としてかかわりました。残念ながら産業復興は当初私の意図したようには動かず、兵庫県の経済活動はいまだ苦しい状態が続いています(拙論「産業復興20年の教訓と課題」((日本災害復興学会誌『復興』第12号))。そのほか、国際畑や福祉、健康医療、環境、生活文化、人事委員会など県庁の仕事のうち、建設と農業関係以外はほとんどすべてに携わったことになります。

 最初の仕事の計画づくり(その後、貝原知事時代の兵庫2001年計画には全面的に、また井戸知事の最初の長期ビジョンにはその端緒に関わる)は、70年代にそれまでの成長志向の地域づくりから環境保護や文化に重点を置いた地域づくりへと方向転換する際の坂井知事時代(1970〜85)の総合計画でした。この中で私は「人間環境の保全と創造」分野と、「生活基盤の充実」分野の「生活環境の充実」の項について担当しました。計画策定の最終段階では新人の異動基準のため別の部署に異動していましたが、計画のタイトルへの提案依頼があり、結果として私の提案であった「21世紀への生活文化社会計画」というタイトルを持つことになりました。この生活文化という言葉は、その後、兵庫県庁の組織名にも使われたほか、東京都や大阪府など全国的に長く使われることにもなりました。

兵庫県庁での経験2

また30代の頃、兵庫県のシンクタンク機能を果たしていた21世紀ひようご創造協会というところへ出向していた当時、協会の10周年記念事業として50年後の兵庫を研究するプロジェクトの事務方の責任者になりました。その報告書「兵庫2030年われらの社会?直流社会から交流社会へ」(1982年11月)では50年後の社会をどう表現するかという段階で、副題をつけることになり、研究全体に目を通していた唯一人の研究員として、私が「今後の高齢化社会では社会のエネルギーが停滞する可能性が高いので、様々な分野で交流を高めることが必要だ」として、『直流社会から交流社会へ』という副題を付けました。それをうけて翌年私の先輩の福田さんが初めて交流人口の定義をエイヤとある研究報告書で付けたのが交流人口の始まりです。その後、当時の国土庁が次期全総のために交流人口を取り入れようとした研究会に私も都道府県代表で委員となったことがあります。結局、交流人口の主たる観光人口がかなりいい加減な数字であったため、交流人口という言葉だけが流布するようになったのでした。

兵庫県庁をやめた後

県庁をやめた後は4年間信用保証協会の理事長として、民間企業でいえば会長兼社長の仕事をつとめました。最初に250名の職員全員との面談をおこない課題の把握に努め、その後、新規商品の開発による保証契約の大幅回復、専用回線の採用やカーナビの全車登載等による業務効率の改善、中堅職員の中途採用の実施による欠員年代の補充(なんと10年間にわたって男性職員が一人も採用されていなかった時期があった)、職員の健康管理の徹底、表彰制度の拡充などによる職員のやる気の醸成、支所の移転、さらに当時900億円程度の基金運用益の3倍増など、いくつかの改革を進め、運用益では私が辞めた後も10年間は毎年、同水準の運用益の確保がはかられるようポートフォリオの形成をすすめました。ただしこの時期自分でただ一つ後悔が残っているのは、前任者のやった近畿の各協会の共同のシステム設計づくりが、たぶんホストコンピユータ方式だということでうまくいかないのを、私の代で終わりにしたことです。ある協会からは訴訟に持ち込むとまで言われましたが、何とか終わりにして別方式に切り替えたことです。いまでは結局その方が他協会にとってもよかったのではないかと思っていますが、もう少し早く決断できなかったのかとも思っています。協会時代は、さいわい県庁時代と比べると比較にならないほど余裕のある仕事であったので、学生時代に十分やれなかった政治学の勉強を神戸大学の夜間の社会人大学院コースで学ぶことができました。この経験と県庁生活最後の仕事であった県立大学の仕事の関係でたぶんその後いくつかの大学で客員教授等になることにつながったのではないかと思います。

経験から感じたこと

こうした県庁と信用保証協会での仕事、さらに大学で学生に教えていく際にいろいろ考えたことのなかで、改めて自分がかつて仕事の中で提案したことや、実施したことの意味や位置付けがはっきりと自分なりに自覚できてくるとともに、これまで自分の人生の中で培われてきた自分なりの人生哲学を意識するようにもなり、また世の中何が問題かということにもあらためて気が付くことができたのではないかと思います。
その一つが、経済学、とくにこの30年以上日本に席巻している新自由主義とされる経済学は今や世の中の活動について十分説明していないし、公共の福祉の向上という政治行政の目的達成には役に立っていないどころか、むしろ阻害しているということです。それにもかかわらず相変わらずその種の論理を振り回す経済学者や、政治家、行政マン、ジャーナリストが多いのはどうしてでしょうか。経済政策等について影響力があり、かつ適切な提言をする研究者が少ないのではないでしょうか。あるいはまともな経済学者は仲間内の話はしても広く世間に訴えることはしないのでしょうか。
また個々の企業の経営を考える経営学を地域や国の経営に当てはめることがいかに害が多いかということにも気づきました。ノーベル経済学賞受賞者の一人クルーグマンも1996年のハーバート・ビジネス・レビューに書いた論文「ACountry is Not  a Company」で、「世界一大きな企業も、複雑性では国民経済の足元にも及ばない。・・・ビジネス階層にとって経済分析が難しいのは、クローズド・システムの論理で考えるのに慣れていないから…なにも、立派な経済学者になる方が立派な経営者になるよりむずかしいというわけではない(実際には、競争が少ないぶんだけ楽だと思われる)が、経済学とビジネスはまったく別のものであり、どちらか一つをマスターしたからといって、もう一方もマスターできると思うことなど論外であるし、理解できるかどうかすら定かではない。」と、対象が経営学者ではありませんが、経営者と経済学者との違いについて述べています。

そういったことを改めて指摘し、そのうえで一つのエリアの経済を活性化し、住民の生活向上に結び付けていくためには何が必要で、どう考えるべきかということについて、これまでとは別の角度からのアプローチを提案することが必要ではないかと考えるようになりました。あるいはこれまで研究され指摘されてきたにも関わらず、なぜかあまり重視されてこなかった成果を改めて取り上げて、ここでいうエリア経済経営に資するものとして捉えなおし、その研究深化などを期待したい、またそういう動きを僭越ながらすすめたいという思いで、今回こういう小冊子をまとめることとしました。
間違っていることは多々あると思います。是非ご指摘いただきたいと思うし、もし少しでも同意していただける部分があるとすれば、その方向への動きをそれぞれの立場で検討していただければこれに勝る喜びはありません。

なぜ地域経営学ではないのか

東京以外のほとんどすべての地域が衰退の道を歩んでいるように言われている。その中で政府も上から目線でかつては分散、今や地域創生という言葉で仕掛けをしているがあまり効果が上がっているとは思えない。一方それぞれの地域でも自らの地域の活性化のための工夫を様々行い、国に先駆けて福祉や環境政策を切り開いてきた。また、新たな産業づくりや、人口増加や少なくとも減少を抑えるための移住誘導策などを個々に工夫を凝らして頑張っている。そういう中で地域経済学や地域経営論などの研究も盛んで、環境や交通、まちづくり、内発的発展論やクラスターづくりをはじめ様々な産業振興策などについての経済的なアプローチや、個々の地域の活性化策についての、とくにある種成功事例の分析などが進められていて、それはそれでたいへん重要なことと思います。また、最近は飯田泰之さんたちの仕掛けている、稼げる街づくりということをキーワードにした行政の支援より緩和というような提言も出てきて、これまでの地域創生等の失敗から学び、現実的に地域経営のために何をなすべきかについての具体的な取り組みがぼつぼつと出てきているのは大いに楽しみです。

しかし、私なりの解釈では、まだまだ地域経済を多面的・総合的に捉え、そのシステムを明らかにするような研究は十分ではなく、また地域経営などに関わる研究はほとんどすべて個々の地域の事例研究か、あるいは地域というさまざまな主体の活動する場を全体的に説明するものではなく、単なる一組織としての自治体経営についての、企業経営論を下敷きに論じた経営論と捉えることができるのではないか。先に述べたように、一つの組織の経営を対象として経営学をエリア全体の経営に当てはめると、まさしく従来の経済学でも言われている合成の誤謬を招くもとともなることは、最近でも2008年のリーマンショックの際に世界中が経験したことでも証明されているように思います。

日本はこのときばかりでなく、バブル崩壊以後ずっと今日に至るまで、当時からの企業と金融機関との悪しき関係のせいもあり、ほとんどの企業はせっかく稼いだ利益を投資と従業員の給与には向けないで、借金返しと内部留保に努めてきたことで、国内に十分お金が回らなくなり長期の不況を招いていると私は考えています。エリア経営に当たっては、こうした現象を起こさないように、社会全体でお金が何回も十分にまわることに注力し、それによってさまざまな分野での産業活動を活性化することを仕掛けるべきであると思う。そのためには、国も含め一つの地域・エリア全体の活性化やその中での経済あるいはそのエリア全体の経営にとってなにが重要なファクターで、どうすればその経営がうまくいくかという総合的な研究が不足しているのではないか、あるいはそういった取り組みの成果が十分生かされていないのではないかというのが、私の基本的な認識である。

エリアとは何か

ここでエリアというのは国、都道府県、市町村という単位のことを想定している。それはそれぞれそのエリア全体の経営に対して唯一の責任主体である政府を持っているからである。なお、エリアというといわゆる大都市圏や広域経済圏、国際経済圏なども考えられるが、通常それらにはエリア全体の経営に責任を持つ政府を有していない。EUの場合はすこし例外的だと思うが、一部事務組合や広域連合などはまさしく一部の領域にのみ協働性を持つものであり、ここではひとまず除外して取り扱いたいと思う。

こうした一つのエリア全体の経済の動きとそれを前提としたエリア全体の経営論として、これまで様々な分野で行われてきた優れた研究を生かし、捉えなおしていくことが必要ではないか、さらに改めて新しい切り口でエリア全体の経済や経営に関する研究をしていただきたいということで、僭越ながら「エリア経済経営研究」と名付けそれらの動きに期待し、またおさそいしたいということがこの小冊子の趣旨である。そしてそのうえで何よりも現在地域経営に唯一責任をもってあたらなければならない各地方政府には自らのエリアの、あるいはその周辺の地域も含めて中核・中枢的な役割を現に担わされる役割を持った地方政府については、それらの地域も含めた広域的なエリアの主たる政府として、適切なエリア経営に努めていただきたいというのが私の願いです。

なぜ経済研究なのか

なぜ経済学とか経営学ではなく経済経営研究としたのか。それは一言で言って、経済学、経営学のそれぞれでは、エリア全体の経営については僭越ながらまだまだ不足だと思うからです。経営学については、これも私は十分勉強したわけではありませんが、組織経営という点でエリア経営と共通点は多々あると思いますが、その対象は企業等のひとつの組織体であり、企業の目的は利潤をあげることにあります。一方、エリア経営の目的は、エリアを構成しそこに生活する人々の、広い意味での生活を豊かにすること(単に経済的な豊かさだけではなく、逆に経済的にそれほど豊かでなくとも満足度の高い生活はある)であり、また、人々のなかにはお金持ちから貧者、子供から高齢者など多様な人々が暮らす中で、産業のみならず福祉、教育、医療健康、文化などまさしく360度の方位を持つ事業を遂行しながら目的を達成することにあります。そこには単なる組織経営やリーダーシップの在り方だけでは当てはまらない問題が多々あります。

経済学はどうか

また、経済学は、これまた私は素人でありますが、初期のあまりにもラフな学問からどんどん発展していることはある程度承知しており、なかでも計量経済学やゲームの理論など幅広く使われるものや、最近の空間経済学や行動経済学、実験経済学、制度の経済学さらには歴史といった時間軸を取り込もうとしたものなどかなり緻密な成果をあげているものもあることは素晴らしい成果だと思います。
例えば藤田昌久・浜田伸明・亀山嘉大さんたちの東日本大震災からの産業復興に関する優れた著作である「復興の空間経済学?人口減少時代の地域再生」を読むと、私には十分理解できない数式部分が大事とは思いますがどこまで理解しているのか自分でもよくわかりませんので触れませんが、大筋としての、たとえば、東京一極集中の経緯などは常識として考えていた議論を非常に説得力を込めて説明され、また、これからの人口減少社会では特に、「個々の人間・人材から始めて、企業をはじめとする生産活動におけるあらゆる組織、教育・研究機関、あらゆるレベルにおける政府・公共体、さらには都市・地域の多様性を増大させる必要がある」としていることは、全面的に賛成です。また、全国的に大きな比重を占めている水産業に対する分析と提案、全国よりも高い構成比を持つ製造業に対する分析などはまさしく空間経済学の成果として強い説得力を持っているなど全体として非常に優れた研究だと思います。

ただ、例えば阪神・淡路大震災後の兵庫県経済の私なりの見方によると(拙著「危機を乗り越えた企業たち」や前掲の拙論「産業復興20年の教訓と課題」参照)、兵庫県の場合、市場が広く海外にまで開いている製造業については、非常に早い段階から鉱工業生産指数が全国を上回り、震災前の水準を乗り越えていったのに比べ、地域内生産額の6割強を占める3次産業が回復せず、結果として県内のGRPは全国に比べ大きく立ち遅れ、1人当たり県民所得の全国順位は、震災当時10位台であったものが、その後ずっと20位台を低迷しています(H27年度は29位)。内需に対する対応が特に被災地では大事になっているものと思います。3次産業に対応した統計等の不備の結果もあるが、ご著書ではその点をまちづくりとコミュニティの形成ということで、間接的に捉えられていることは、長年にわたり兵庫県という一つのエリアの経営について考え続けてきた立場から、また兵庫県の産業復興に忸怩たる思いを持っている私にとっては物足りない感じがしました。
また、さらに勝手な欲を言えば、内生的な集積力と分散力がどの時点で拮抗するのかとか、少なくともその集積力や分散力で動くこととなる人々には、最近働く場を求める以外の他の動機としていろいろな要因が見られるのではないかということも気になります。例えば子育てのために保育料や医療費の減免制度が手厚いからとか、教育費にある種の補助があるからとか(この世代にはいわゆる非正規社員が多数存在し、低所得での生活を強いられているため、高度経済成長を経験してきた私たちとは異なって、こういう志向は思いのほか強い。なお、言うまでもないが、非正規社員の割合は今では全勤労者の4割に達している)、また、10年以上前に私が兵庫県で医療福祉等の担当部長をしていた時には既に、特別養護老人ホームや有料老人ホーム等の高齢者の入所施設が自身の住所地にないために他市の施設に入居し、入居された施設側の市では高齢者にかかる様々な費用の負担をどのように出身市に求めるのかという問題が発生していました。東京都や東京圏では今後増える高齢者用の施設を果たしてどれだけ確保できるか懸念されています。たとえばこうした要素を加味した分析も必要かもしれません。

様々な取り組み

その他環境経済や、社会保障の経済学、文化と経済などいろいろな分野についての経済的な分析もこれまで進められてきていますが、エリア全体の経営を考えるためには、ある意味でこうした特定の分野や部分を対象に理論化した、いわば「木」だけではなく、それらをある意味で総合的に組み合わせた「森」としてのエリア全体を対象とした経済的な分析も必要だと私は考えています。そうでないと現状のようにかえって経済の一面を見るには優れたものであっても、全体の経営から見ると場合によってはむしろマイナスの効果の方が大きいといったこと(これは上の著作についてのコメントではありません)にもなりかねないのではないでしょうか。

また、例えば上にあげた私の希望通りではなく違ったアプローチともいえるものですが、RESAS(地域経済分析システム)によって各地の経済分析が容易にできるようになったことは、従来、イベントの経済効果算出などでしかなかなかお目にかからなかった地域産業連関分析の成果を経済学者だけでなく、普通の公務員や地域経済に関心のある人たちが容易に使え、地域経営に経済学者や研究者と一緒になって考えることができるようになったことは、全国的な視点だけでなく、地域という下から見た視点と同時に議論する場が提供されたということで画期的なことだと思います。こうした取り組みも一つの道かもしれません。他の分野でもありえればおもしろいと思います。いずれにしても、エリア経営を担っている者と研究者との対話がもっと必要かもしれません。
改めて枝廣淳子氏の「地元経済を創りなおす」をみると、イギリスのNew Economics Foundationの「漏れバケツ」理論を適用して考えると、例えば高知県の2010年の産業連関表から計算される域際収支はマイナス350,630百万円に対し、東京のそれはプラス19,032,709百万円(いずれも私が単純計算)にのぼり、東京で最もプラスに貢献しているのが「本社」であるとのことである。
また、ある地域に1万円が入った時の地域内乗数効果は、仮に地域内での購入・調達が20%、地域外での購買・調達が80%のA地域と、逆に地域内での購入・調達が80%、地域外での購買・調達が20%のB地域を比べてみると、A地域では最終的に1万円の収入が2500円の価値を生み出すのに比べ、B地域では約4万円の価値を生み出すことになるそうです。
さらに、工場誘致をしてもその部品調達のほとんどが地域外からのものとすれば、誘致の経済効果は微々たるものともしています。工場の海外進出や公共事業の減少もあって、秋田県知事は2013年度の年度初めの挨拶で、「今までは雇用というと、市町村も県もどこへ行っても『工場誘致』でした。しかし『工場誘致』という言葉はもう死語であります。」と述べたそうです。

私も、学生に地域金融の話をするときにはいつも、「幹線道路沿いに商店が多く立地しているが、それらが全国チェーンの店なら、そこで買っても地域にはほとんどメリットがない。金は、東京からきて東京に戻っていくだけだ。また、神戸製鋼のような神戸に本社のある大企業でも兵庫県内で新たな投資をするときの資金は東京で調達して、地元の資金循環にほとんど寄与していない。」という話をすることにしています。地域の産業政策は、いかに地域内で資金が循環するかを念頭に置いて立てる必要がありますとも言っています。果たして、地域内での資金循環の度合いが地域経済にどの程度影響するのか。あるいは、具体的に地域内での資金循環を促す産業・経済政策はどのようなものがあるのか、改めて問いかける良書だと思います。

三方よしの経済学

またまた私事で恐縮ですが、2016年秋に小さな勲章をいただきました。その際、天皇陛下から、「皆さんは、これまで世のため、人のため、社会のために尽くしてこられました。」というお言葉を賜りました。私は自分の仕事をしてきたのは、まずは食べるため、家族を養うためであり、また、仕事を通じて自分のやりがいを感じて満足するためでありましたが、一方で、確かにお言葉のように「世のため、人のため、社会のために」という気持ちを持ちながらやってきたと思います。決して「国のため」とは考えませんでした。「国のため」という言葉は、容易に「時の政権のため」という言葉に置き換えたいと考える人たちがいます。お言葉で「国のため」という言葉を使われなかったのは、そういう使い方に利用されないためではないかと感じたのは私の勝手な思い込みかもしれません。
いずれにしても、社会科学の研究もいたずらに人間の行動を探求するだけではなく、「世のため、人のため、社会のため」になる研究にしたいですね。「売手よし、買手よし、世間よし」という「三方よし」の理念は、古来の近江商人の経営理念とされています。近頃言われる「ウインウイン」などという言葉と比べてなんと深い味わいのある言葉でしょうか。経済学にも三方よしの研究はないのでしょうか。今回の提案はそういう意味で、三方よしの経済経営研究のおさそいともいえます。

エリア経営に当たっては、経済学、経営学に加え、社会学、政治学、法学等の社会科学さらには、環境、医療、都市計画等も含めた総合的な取り組みが必要なことは言うまでもありません。したがってエリア経済経営研究には様々な分野からのアプローチが求められます。しかし、その中でも特に経済学と経営学の方々には特にここでいう趣旨をご理解の上、ご検討をお願いしたいと思います。

ここで掲げた課題等はごく限られたものだと思います。なにしろ一つのエリア全体にかかわる問題や対象は、それこそ方位360度にわたり様々なものを含み、中には互いに相矛盾するのではないかと思われるものさえあると思います。だからこそいわゆる経営学の成果を単純にそのままエリア経営に適応してはならないのです。しかもこういったことに関する関心が、マスコミを含め政治や行政に直接間接に関わる人の中で、現在、まったくと言っていいほど失われていると私には思われるのです。今後、微力ながらエリア経済経営研究会という名で、何らかの研究促進活動を始めようと考えています。少しでもこの趣旨にご賛同の方々のご参加や、それぞれのお立場での調査研究活動やそれらに基づく社会的な提言や活動が盛んになることを願ってやみません。

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