阪神・淡路大震災時もそうであったし、東日本大震災の時もそうであったが、今回の新型コロナに対する対応でも、危機の時にこそエリア経営(今回は特に日本政府、各地の都道府県、市町村の経営力)の真価が問われているといえよう。その意味で今回もそれぞれの対応を注視していく必要がある。
それとは別に、私自身がサーズの時に経験したこと(あまり大したことではないが)をここで、簡単に述べてみたい。2002年度から3年度にかけて、私は兵庫県庁で、医療・健康、福祉、環境、文化等それ以前の県政では、全部で10部局の仕事のうち3部局の仕事の責任者として担当していた時期がある。その間に、児童虐待やDV、産業廃棄物の不法投棄、高齢施設の不足と地域間の軋轢など今も大きな問題になっていたことが、当時も毎日のように起こり、日々気持ちの収まる時のない日々を過ごしていたが、その時に起こったのが2002年から3年にかけてのサーズの問題であった。
02年の秋から中国で発生したサーズは、今回と同様動物から人間にうつったといわれた新型肺炎であり、当時はコウモリではなく、ハクビシンが介在といわれていた。私は、いずれ兵庫県にも来ると思っていたので、2003年の早い時期から、いざ来た時には保健所で対応することはもとより、本庁でもいち早く情報をつかみ、的確な対応をいち早くとる必要があると考え、本庁の医師や看護婦と事務やの3人で構成するチームをとりあえず3チームほど作ったほか、当時も陰圧対応の病室が県内で100床もなかったと記憶しているが、いざという時には別途ある施設を全館サーズ対応に使用するといった計画を立てたりしていた。また、各地の中核病院でも、建物外にテントを張ってそこでサーズとその他の患者を分けて、出入り口と診療室等を区別するといった対応もとることとされていた。
そうこうしているときに、2003年の5月の連休明けだったが、台湾の医師がサーズにかかっているのを自覚せず、関空から大阪経由、宮津のホテルで泊まり、翌日、出石でそばを食べ、その後姫路城に行き、姫路から船で小豆島に行って泊まり、翌日淡路島のホテルで泊まった後、淡路縦貫道、サービスエリア、阪神高速、関空を経て台湾に帰国した後、サーズということが判明するという事件が起こった。早速、各地の保健所対応のほか、用意していた本庁のチームを派遣し、たとえば淡路のホテルでは全館消毒し、休業していただき、接触者全員の自宅待機と体温等のチェツクを一定期間行った。幸い、いずれも問題なく、大きなことに拡大することなく済んだので、それ以上大したことをしたわけではなかった。
(この後は次の記事に続く)